【西陣織:西陣まいづる インタビュー前編】困難を乗り越えて
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-----まずは、西陣織ならではの特徴を教えてください。
西陣の織物はとても精緻な表現ができるのが特徴です。
例えば日本画や書をそのまま織物に変えることもできますし、筆のかすれ具合まで表現できるのです。
こうした繊細さは世界でも類を見ないと思います。

-----「西陣まいづる」様の歩みについて教えてください。
創業は明治40年(1907年)で、現在は私で五代目になります。
戦時中も織物を続けてきました。
かつて西陣には1000軒以上の業者がありましたが、当時の政策で企業の統廃合が行われ多くがなくなりました。
弊社は幸いその統廃合を逃れたわけですが、決して順風満帆に進んできたわけではありません。
時代ごとの苦難があったわけです。
当時は帯地などは作れなかったので、軍用のコートを作成して経営を乗り越えてきたのです。
先代や職人たちの努力があったから今の弊社の姿があると考えています。
-----西陣織の制作の現場はどのように成り立っているのですか?
西陣織の大きな特徴は「分業制」にあります。
染屋さんは糸を染め、糸屋さんは糸をつむぎ、機場(はたば)では織りを行う。
弊社は機場になるので組み立て役といった感じです。
多くのエキスパートの手を経ることで、他にはない織物が生まれます。

-----西陣まいづる様が得意とされている技術はございますか?
弊社は特に「引箔(ひきばく)」という金箔を織り込む技術に長けています。
実は金箔を織り込むというのは非常に繊細な作業なのです。
金箔も糸も繊細な素材ですので。
あと自身のある商品としては、「紹巴(しょうは)」というしなやかで軽く、締めやすい織物も得意としています。

-----織機についても特徴があるそうですね。
弊社では手織り機と力織機を使って制作をしています。
ざっくりとイメージを掴んでいただくなら、手織り機はデジカメ、力織機は一眼レフカメラ、というイメージです。
使っている糸の数が違うので、表現できる解像度が違うと思ってください。
こうご説明すると力織機の方が良いように聞こえますが、実は単純な比較はできなくてそれぞれに得意な表現があります。
弊社では完成のイメージや使用シーンによって使い分けています。
この使い分けによって幅広い表現ができるわけです。

-----美山での制作拠点についてもお聞かせください。
実は京都は盆地なので湿気がたまりやすく、織物を作る環境としては最適とは言い難いのです。
それが理由でかつては京都の北部にある美山という地域で制作していました。
残念ながら、数年前の台風で機場が損傷してしまい、現在は西陣で制作しています。
西陣織という名称ではありますが、京都の様々な土地が協力し合いながら、一つの物を織り上げていたわけです。

-----手織り機は100年ほど前に大きく進化したそうですが。
そうです。
当時の京都の技術者がフランスからジャガードという織り機の上で糸を操作する装置を持って帰ってきたことがきっかけで生産力が飛躍的に向上しました。
それまでは人が織り機の上に乗って、織り込む糸の操作をしていたのです。
明治の頃の京都は首都機能が東京に移ったことで灯が消えたような状態だったそうです。
そんな状況を憂えた技術者たちが、様々な技術を持ち帰ってくれたのです。
ジャガードもその一つです。
先人たちがさまざまな知恵を使って、困難を乗り越えてきたと思うと現代を生きる私たちも頑張らないとという気持ちになります。

後編は明日公開されます。