【京藍染師:松﨑陸インタビュー】藍に魅せられて
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-----まず京藍染がどういうものかお聞かせください。
「日本の藍産業の始まりは京都です。
しかし100年ほど前、化学染料の台頭や都市化によって畑が失われ、京都の藍は姿を消してしまったのです。
僕はその京藍を復活させました。
地元がかつての産地だったことを知り、歴史を放っておけなかったのです。
藍は自分の手で栽培しています。
もちろん農薬などは使いません。
だからこそ薬品を使わない、本当に純粋な藍染ができます。」

-----藍自体を育てることからされているとは驚きです。藍染と出会われたのはいつごろでしょうか?
「大学を卒業した後、いろんな価値観に触れたいと、英語も話せないままニューヨークに渡りました。
そこで偶然入ったお店で “ジャパンブルー” という藍染を知ったのです。
帰国後、テレビで藍染の特集を目にして“面白そうだ、やってみたい”と思いました。
そして京都で200年続く染織工房に弟子入りしました。
ただし弟子入りの条件は愛媛で2年間修行すること。
愛媛では蚕を育てたり、着物を縫ったりで藍には触れられませんでした。
京都に戻ってやっと勉強ができるかと思っていたのですが、まだまだ触らせてもらえませんでした(笑)
他の染料と違って、藍は特別なのです。
というのも、藍は微生物の力で発酵させないと染まらないので、素人が触って環境を変えてはいけません。
発酵が止まると仕事がストップしてしまうからです。

それも理解しつつも待っていられないと自宅の風呂場にバケツを置き、自分で研究を始めました(笑)
最初のうちは失敗ばかりでした。
給料の半分をつぎ込みながら半年ほどうまくいかない日々を過ごしました。
そんな生活の中である日、水面が青く染まり、布を染めることができたんです。
あのときの感動は今でも忘れられません。」

-----藍というものの難しさがよくわかるお話でした。まさかご自宅で研究されたとは。特に藍のここにこだわりがあるという点はございますか?
「こだわりしかありません(笑)
栽培方法からはじまり、技法の一つ一つまでを大切にしています。
ここまでこだわっているのは本物を目にした経験があるからです。
奈良の正倉院には1300年前の藍染の紐がいまも残っています。
これは現代の技術より奈良時代のほうが勝っているという証明だと思います。
なので、過去の技術に遡っていけば1000年以上残るものが生み出せるはずです。
いまやっと約700年前の室町時代の技法まで遡ぼることができました。
少しずつですが奈良時代の技術に近づいているという実感があります。」

-----まさに温故知新ですね。制作をする上でのインスピレーションはどこから湧くのでしょうか?
「ひらめきは常に藍からもらっています。
日によって藍の表情は変わり、微生物の働きが色に現れます。
多くの微生物が共存している藍甕(あいがめ)は、宇宙から見た地球の様に感じます。
”全てはひとつ”だと感じるのです。
そのイメージを作品に表しています。」

part2は明日公開されます。