【漆芸家:やのさちこインタビュー前編】漆と向き合う、遠回りの物語
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── 漆と出会った経緯について聞かせてください。
漆という素材の存在自体は、もちろん知っていました。
ただ、それを仕事にしようと意識したことはなかったです。
きっかけは、伝統工芸の専門学校で漆工のコースを見かけたことでした。
特別に惹かれた、というよりも、なんとなく印象に残った、という感覚に近いですね。
いろいろな工芸のコースがある中で、漆工の場所はとても静かでした。
機械もほとんど使わないし、空気が落ち着いていた。
その雰囲気が、当時の自分には心地よかったんだと思います。

── もともとはデザインを学ばれていたそうですね。
高校では、絵やデザインを学んでいました。
将来は、そういう分野で仕事ができたらいいな、と思っていたんです。
ただ、ビジュアルデザインの世界は、消費社会のスピードと強く結びついています。
そのスピード感だったり、周囲の実力を見ているうちに、
自分の力が足りていないと感じるようになってしまって。
大きな挫折体験でした。
次第に外に出ることもできなくなり、しばらく動けない時間が続きました。
それでも、生きていく以上、どこかで動き出さないといけない。
── その中で、漆という選択があったわけですね。
その頃は、「個性を出すこと」を強く求められる状況そのものに、
違和感を覚えていた気がします。
自分らしさを追い求めることに疲れてしまったのです。
なので、まずは技術をきちんと身につけて、
自分を前に出さない形で、ものづくりに関わっていこうと考えていました。
素材には、特別なこだわりがあったわけではありません。
専門学校でさまざまな工芸に触れる中で、自分に合うように感じられたのが漆でした。

※和紙を貼り付ける工程
── 実際に漆に触れてみて、どう感じましたか。
とにかく、手間がかかる素材だと思いました。
塗って、削って、乾かして。その繰り返しは、正直かなり辛気臭い作業です。
最初のうちは、やめようかと悩んだこともありました。
それでも、一度は頑張ってみようと続けてきました。
専門学校を卒業してからも京都の工房で修行して、
結果的に10年ほど、漆と向き合う生活が続きました。

── 漆で生きていく、という決意はいつ頃に。
その七年の中で、自然と決まっていったように思います。
それまでは、「漆がだめなら別の道もある」という気持ちも、正直ありました(笑)。
でも、いつの間にか、漆で生きていこう、と思うようになっていました。
── やのさんにとって、漆の魅力とは何でしょう。
漆は、天然塗料の中でも特別な存在だと思います。
耐久性が高くて、光沢があって、長く使える。
樹液を塗る、という発想自体も、
今でこそ当たり前ですが、当時はとても革新的だったはずです。
日本での技術の発展の仕方は、少し変態的で面白いとも感じます。
決まりは多いけれど、その中で遊べる余白がある。
私自身も今の自分の感情に合わせて、セオリーをひねってみることをします。
きっと昔の人たちも、そうした積み重ねの中で、
新しい技法を生み出してきたのではないかと思っています。

── 漆は、扱いが難しい素材ですよね。
そうですね。
漆は、素材と呼べるほど、完全にコントロールできるものではありません。
いつも機嫌を取っているような気持ちです。
塗って乾かすときには、「頼むで」と心の中で思っています。
ほんの少しの厚みや湿度の違いで、色が変わってしまう。
若い頃は、それが腹立たしいと感じることもありました。
でも今は、自分のペースと漆のペースが、少しずつ合ってきたような感覚があります。

後編は明日公開されます。