【陶芸家:馬川祐輔インタビュー後編】作ることは生きること
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――制作の中で、特に楽しい瞬間はいつですか?
やっぱり“窯出し”の瞬間ですね。
どれだけ経験を重ねても、あの瞬間だけはドキドキします。
「うまく焼けたかな」「思ってたのと違うな」とか、いろんな感情が一気に押し寄せてきます。
窯を開けて、がっかりということはほとんどありません。
許容の幅が広いというより、どんな作品が出来上がっているかただただ楽しみなのです。
だから、出来上がった作品は全部お気に入りですよ(笑)
ただ、時間が経つと“もっといいのが作れる気がする”って思って、また次に向かう。
これが僕の制作のサイクルですね。

――逆に、制作で苦手だと感じることはありますか?
“テーマを与えられること”です(笑)
大学の課題とか依頼制作とか、誰かからお題を出されると、どうしても考えすぎてしまう。
自分の内側から出てくるものじゃないと、手が動かないんですよね。
昔は頑張って合わせようとしてたけど、今は「すみません、テーマを与えられるのは苦手です。」と正直に言うようになりました(笑)

――作品のテーマやスタイルは、時期によっても変化していると感じます。
そうですね。見た目はころころ変わるけど、根っこはずっと同じです。
“自然と人の関係”これをずっと表現しています。
大学の頃は植物をモチーフにしていました。
枝や実の形に惹かれて、オブジェばかり作っていましたね。
その後、“人が使う器”も作ってみたけれど、使いやすさを意識すると表現が制限されてしまうので、あまり得意ではないと思っていました。
行き詰っていた時にあることに気が付いたのです。
“自分の表現を内包できれば、形は器でもオブジェでも関係ない”って。
そこから表現の幅が広がったように思います。

※工房の庭に置かれた過去に制作されたオブジェ
――自然と向き合う中で、感じていることはありますか?
自然って、こちらの思いどおりにはならないですよね。
でも、このコントロールできない部分があるからこそ僕は制作ができていると思います。
例えば、紙に絵を描いてほしいと言われると僕はできないと思います。
表現が直接的過ぎて恥ずかしいという感情が勝ってしまうのです。
この点を熱という第三者的なエネルギーに手伝ってもらうことで作品に仕上げています。
委ねていると言ってもいいかもしれません。
作品によっては表面を削ったりもするので、自分の表現したいものがすこし柔らかくなる印象です。
ありのままを見せるということが僕にはどうにも恥ずかしくて、第三者の手が入って初めて僕の作品が完成するという感覚です。

――では、馬川さんにとって“陶芸”とはなんでしょうか?
うーん……“自分に一番合っている表現のツール”ですね。
絵を描くより、言葉にするより、土を触っているときがいちばんしっくりきます。
予想できないことが起こるから面白いし、結果的に自分の表現したいものが理想的な形で出てくるのです。
陶芸が“好き”というより、“これしかできない”という感覚のほうが近いかもしれません。
――最後に、これから挑戦したいことを教えてください。
明確な目標は実はなくて。
ただ“作り続けたい”です。
作っていないと落ち着かないし、たぶん、生きていけないと思います。
だから、これからも自分のペースで作り続けていきたいですね。

「人とは何か」という果てのない問い。
その答えを探しながら、今日も馬川さんは土に触れ、形を生み出している。
その姿がすでに、一つの答えなのかもしれません。