【金工:中根嶺インタビュー後編】真っ直ぐなモノづくり
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― 中根さんにとって、“モノづくり”とはどんな意味を持っていますか?
改めて意味を訊かれると難しいですね(笑)
ずっとあるもので、”日常”というのが一つの答えかもしれません。
生まれた時から身近にあって、離れたことがない。
ふとした時に「恵まれているな」と思います。
好きなことに出会えて、そしてそれが続けられる環境にある。
これって有難いことですよね。
おそらく、僕は一生何かを作り続けていると思います。

― 作品を通して、どんな価値を共有したいと考えていますか?
大前提として時間と共に変わっていくものだとは思いますが、 最近は「用途のあるモノ」に惹かれています。
自分の中にある何かを表現するというよりも、誰かの生活の中で使ってもらえるモノを作りたいです。
使う人の視点を意識しながら、できるだけ真っ直ぐにモノづくりと向き合いたいですね。
日々の暮らしの中でそっと寄り添うような存在を目指しています。

※設計図を確認する中根さん
― ”真っ直ぐにモノづくり”と向き合うというのはどういう意味でしょうか?
最近は誰がどんなふうに作ったかという背景やプロモーション的なビジュアルばかりが前面に出て、“モノ”そのものが置き去りになることが多い気がするのです。
僕自身もモノに宿るストーリーを知りたいという思いはあります。
でも、まず「出来上がったものが良いかどうか」が大前提だと思うんです。
手作りだから必ず良い、ということでもないですよね。
量産品だって、デザインを考えて素材を考えて、様々な要素を考え抜かれて作られているわけです。
量産のための技術も先人の努力の賜物です。
良いモノからは自然とそのものと向き合った作り手の真摯な姿勢や情熱が透けて見えてくるのではないかと思っています。
これが僕の中での真っ直ぐにモノづくりと向き合うという意味です。

―素敵なお考えですね。中根さんが考える”本質的な良さ”とはどんなものでしょうか。
ある方が「用途のあるもので永く世に残るモノには、素材・構造・機能・デザインの4つが大切」と仰っていて、すごく刺さったんです。
この4つの要素がいずれも優れていることが本質的なモノの良さだと再認識しました。
どれか一つでも欠けると永くは残らない。
そこにさらに“情熱”も重要だと仰っていました。
作り手だけでなく使い手の情熱も加わると、そのモノは大切にされて世に永く残ると。
すごく当たり前の話かもしれませんが、ずっと作っているとこういった視点を見失ってしまうこともあるのです(笑)
手作りとか鍛金云々といった、どのような技法で作るのかといような技術的なことに意識がいってしまって。
作り方は良いものを作るための手段でありそれが主語になってはいけないということを学びました。

※金属を裁断する作業
― 制作の中で感じる喜びや難しさは、どんなところにありますか?
やっぱり、自分の手を動かした痕跡が形になって残ること。
そして、それを見て誰かが共感してくれる瞬間が嬉しいです。
一方で美しさに正解はなく技術の探究にも終わりはないので、自分の至らなさに悶々とするような時もあります。
そして、生業としてのモノづくりでもあるので、お客さんに対して無責任ではいられないという気持ちもあります。
なにより値段をつけるのがいつまでたっても難しいです。

― これから挑戦してみたいことはありますか?
作りたいもの、扱ってみたい素材はたくさんあります。
大きなスケールの作品もやってみたいし、最近は故郷の森を開拓する計画を練っています。
暗い杉林を明るい森に変えるところから始め、自分たちの暮らしや創作のための空間をつくりたいと考えています。
その場所や環境を作る中で「自分のためのモノづくり」と向き合うことができたらと思っています。
― 最後に、これからの“工芸”という分野をどう見ていますか?
今はクラフト(工芸)、アート、プロダクト(大量生産品)の境界がすごく曖昧になっています。
もちろん、無理に線引きする必要はないと思うのです。
自分がどこに位置しているのか、分からなくなってしまうこともあります。
でも、最近は中途半端でもいいかなと思えるようになりました。
モノを作るときの自分の思考の中には工芸的も視点もあればアートやプロダクト的な視点もあるように思います、重要なのはそのそれぞれを深めていくことだと思います。
これからもモノづくりを通して人生を楽しんでいければと思います。

インタビューの最後、「作れなくなったらどうなるんでしょうね」と少し笑いながら話してくださった中根さん。
それほどまでに中根さんにとってモノを作るということは日常なのだと感じさせられました。
中根さんの手から生まれる作品たちは、金属と向き合い、語らい続けた”時間の記録“であるという確信が持てたひと時でした。