【金工:中根嶺】打ち込む思い、その結晶

【金工:中根嶺】打ち込む思い、その結晶

京都の北東にそびえる大文字山。

五山の送り火で全国的にも有名な古くから人々に親しまれてきた山です。

その麓の住宅街に、カン、カン、と澄んだ音が響きます。

音の主は、中根嶺さん。

鍛金という技法で、金属の板を叩き、少しずつ形を生み出していきます。

白を基調とした工房は、窓からの光を受けてやわらかく明るく、 そこに並ぶ作品たちは、光を纏いながら静かに輝いていました。

磨かれた銅や真鍮の表面には鎚の跡が残り、 反射する光は、まるで時間そのものが結晶となったようです。

鍛金とは、金属を加熱し、冷まして叩く―― その果てしない作業の繰り返し。

バーナーで金属を熱する様は、炎のゆらめきとともに迫力に満ちています。

中根さんがを握り、金属を叩けば、 高い音とともに平面だった板が、少しずつ立体へと変わっていきます。

その様は、まるで金属に命が宿り始めているようでした。

ひとつのドリップポットを仕上げるのにも、 どれほど急いでも三日はかかるといいます。

原理は単純で、頭では理解できます。

それでも、ただの金属の板が、一つで美しい形に変わっていく様子は、 何度見ても不思議でした。

金属は、使うほどに表情を変えていきます。

その変化は、使い手の暮らしとともに刻まれる記憶のよう。

中根さんが手袋をして作品を扱う姿に理由を尋ねると、 静かにこう話してくださいました。

「手の油でも、金属の表情は変わっていきます。 ですから、作った僕でも仕上がった作品には素手では触れません。 出来上がった作品に初めて触れるのは、お客さんであってほしいのです。」

中根さんの手から生まれるのは、薬缶やドリップポット、照明など、 日々の暮らしに寄り添うものたち。

けれど、それらは“道具”という言葉では言い尽くせません。

無機質なはずの金属の中に、確かに作り手のぬくもりが宿っています。

表面に刻まれたの跡は、 金属と向き合い、語らい続けた時間の記録です。

使う人を思い、その人の生活に寄り添う。

その想いが、一打一打に込められています。

窓の外では、風が山肌を撫で、木々の葉がかすかに揺れています。

今日もまた、大文字山の麓で、金属を叩く音が響いていることでしょう。

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