【陶房:洸春陶苑】 開かれた工房を目指して
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京都駅から少し東へ。坂を上ると、古い屋根瓦が並ぶ今熊野の街があります。
このあたりを歩いていると、時おり風の中に土のにおいが混じっているのを感じます。
このエリアには、昔ながらの清水焼の窯元がいくつも残っています。
閑静な住宅街の中に、職人の息づかいがひっそりと溶け込んでいるのです。
その一角にあるのが今回お話を伺った「洸春陶苑」さんです。
古い家並みに寄り添うように建つ工房で、外から見ただけでは、ここでどんな器が生まれているのか想像もつかないほど控えめなたたずまいです。
扉を開けると、土と釉薬の香り、そして轆轤(ろくろ)のモーターの音が響いています。
まるで扉一枚で、時間が少しだけ巻き戻ったような感覚に包まれます。

代表の高島 慎一さんは、この工房の三代目。
お話を伺うと、80年ほど前にこの地に移り住み、今の建物の原型ができたのは60年ほど前だそうです。
代々の職人が少しずつ手を加え、時代に合わせて育ててきた工房とご説明されていました。
過去と現在が同じ空気の中で呼吸しているような空間は、私たちを優しく迎えてくれました。

※工房の一角
高島さんと初めてお会いしたのは、当社の商品制作をお願いに伺ったときでした。
打ち合わせのつもりが、気づけば2時間ほど話し込んでしまいました。
陶芸の話から、日々の暮らし、そして「ものをつくるとはどういうことか」という話まで。
朗らかでウィットに富んだ話しぶりに、すっかり引き込まれてしまいました。
不思議なことに、初対面なのに昔から知っていたような親しみを感じたのを覚えています。
工房の温かい空気と高島さんの人柄が、そう感じさせたのかもしれません。

「私は開かれた工房を目指しているんです。」
明るい口調の中に、確かな想いがありました。
穏やかに私たちを迎えてくれた工房の雰囲気が、その言葉の意味を裏づけているようでした。
近年、“職人”という言葉はどこか遠く、特別な存在のように聞こえがちです。
けれど高島さんは言います。
「焼き物には、確かに技術が必要ですが決して特別なものではありませんよ。土を触ってみたい、器を作ってみたい、その気持ちがあれば誰でも入口に立てるのです。」
開かれた工房でありたい。
それは職人という仕事がどんなものか、モノづくりの楽しさを多くの人に知ってもらいたいという意志の表れでもあります。
思いを伝えてくださった高島さんの姿は、いつもの明るい笑顔の奥にゆるぎない決意が見えました。
※釉掛けをする高島さん
今熊野の街には今日もまた小さな炎が灯っています。
その炎はまた次世代へ繋がっていくのでしょう。